I-Method

アウトローとベンチャー

はじめに


 不法投棄という犯罪の内部構造は、長年の間、ブラックボックスとなっていた。不法投棄罪の罰則強化も、排出事業者責任の強化も、期待した効果を上げなかったのは、不法投棄の実態がわからないまま、塀の外から石を投げるような対策を立てていたからである。
 しかし、「産廃コネクション」(WAVE出版)で、「穴屋」、「一発屋」、「まとめ屋」などの仕事を紹介してから、不法投棄対策の流れが根底から変わった。不法投棄の構造的理解が一挙に進み、問題の核心を狙い撃ちにし、対策の効果を実感することができるようになったのである。
 産廃コネクションは、全国最大の不法投棄多発地帯として知られた千葉県の経験、とくに銚子市における大物穴屋との決戦を基にして書いた本である。
 この本では、許可のある産廃業者、とりわけオーバーフロー受注している中間処理施設が、不法投棄ルートへの流出ポイントになっていることを指摘し、それまでの通説だった最終処分場不足説を否定して、中間処理能力の増強が不法投棄対策の根本命題であると提言した。
 その後、幸いなことに中間処理業やリサイクル業への大企業やベンチャー企業の参入、既存の産廃業者の規模拡大、中国への資源ごみ輸出の進展などが進み、その一方では、行政と警察の連携による不法投棄包囲網も充実した結果、解決不可能だと諦められてきた不法投棄に、ようやく明るい光が見え始めた。環境省は大規模不法投棄を2004年から5年以内にゼロにすると公言するまでになっている。
 かつては、「不法投棄などなくせるはずがない」と、本音では思っている人が多かった。この問題の専門家と言われる人ほど、そうだったのである。



 経済的な観点からこの問題を見ている学者もいないわけではなかったが、残念ながら現場を知らなかった。そのため、「悪貨は良貨を駆逐する」などという、観念的なたとえ話で満足していた。
 確かに不法投棄現場の料金は安い。しかし、不法投棄現場に廃棄物を横流ししている中間処理業者の料金まで安いわけではなく、たいていは正規の料金を請求していた。低料金の業者もあるにはあったが、それでは不正処理をしていることが見え見えになってしまう。
 不法投棄の真実は、良貨が悪貨を駆逐するのではなく、良貨と悪貨が共存し、正規料金と不法投棄料金の価格差をピンハネすることにあった。この産廃業界の二重価格構造を、環境学者も経済学者も、誰も指摘していなかった。
 不法投棄は「穴屋とまとめ屋と一発屋の犯罪」ではなく、「産廃業界の二重価格構造の犯罪」なのである。
 二重価格は、理論と現実が乖離し、理論が現実に通用していないことを意味している。理論のための理論に墜している経済学では、二重価格を説明するのに役に立たず、それどころか経済学者の多くは二重価格があるという現実に気付こうとすらしない。
 経済学と現実の経済の関係は、芸術論と絵画の関係に似ている。経済学者の中には、あたかも芸術論で名画が描けると勘違いしている人が多い。



 アウトローがはびこる最大の理由は、情報の欠如であり、間違った情報に基づく対策、構造的解明のない行き当たりばったりの対策が、かえって問題を複雑にしているのである。
 構造さえ解明されれば、対策は劇的に進展する。これは病原体や病理が解明された病気の治療が劇的に進むのに似ている。
 このことを私は産業廃棄物の不法投棄対策で目の当たりにしてきた。2001年に千葉県の銚子地域から始まった不法投棄の構造的解明に基づく対策の効果は、その年のうちに千葉県全体に広がり、翌年には関東・東北に広がり、全国に広がった。自治体、警察、検察の協力体制の強化により、検挙数が何倍にもアップした。
 環境省と経済産業省は、相次いで、不法投棄の構造的解明をベースにした対策に着手し、これは2004年の「廃棄物・リサイクルガバナンス」と「産業廃棄物処理業者優良化推進事業」として結実した。

 本書は私のアウトロー研究の集大成として新たに書き下ろしたものであり、アウトロービジネスをベンチャービジネスに転化していくという観点で書いた経済書である。
 そのため、「利権クラッシュ」(WAVE出版)で取り上げた二重価格論を、再び本書でアウトロービジネスの原理として論じたいと思う。二重価格論は、経済学ではなく、経済の現実である。
 どうせアウトローをなくすことはできないと、頭で考えただけで安易に結論してしまう人が意外に多い。しかし、アウトローをアウトローでないものに転化していくことは可能だ。その一つの方法がアウトローのベンチャー化である。
 アウトローから出発して、立派な業界に成長している例はいくらでもある。ゼネコン、荷役業者、プロレスやプロ野球などのプロスポーツ界、芸能界、警備保障会社、消費者金融業者、そして私が長年取り組んできた産廃業界は、その出自をたどればどれもアウトローとの関係を否定できない業界だと言われてきた。その多くは過去のアウトローとの関係を清算し、自立しているが、現在でも全く無関係と言えない業界もある。
 アウトロービジネスは必要悪と言われることが多いが、必要悪の意味を、噛み砕いて説明するなら、「非合法な手段で社会のニーズを満たしている経済行為」ということになる。悪が必要を満たしているというのと、悪が必要だというのとでは、全く意味が違う。
 悪が必要を満たしているという意味でのアウトローの典型はヤミ金である。ヤミ金は、非合法のビジネスだが、それは非合法でなければ満たせない資金需要があるということを意味している。ヤミ金が必要悪だというのは、それが金融のカオスであり、実験場だからであって、決してヤミ金がなくせないということを意味しているのではない。そこからさまざまな金融ベンチャーが生まれてきたことは事実だし、これからも生まれ続けるに違いない。
 必要悪が、必要を満たしている悪なのだとすれば、アウトローの満たしているニーズを発見し、合法的な方法でそのニーズ満たすことができれば、それはもう立派なベンチャーである。これは経済の歴史の中で、ずっと繰り返されてきたことであるし、これからもずっと繰り返されていくことである。
 アウトロー問題を論じるときに必ず出てくる必要悪論との対決を回避していては、この問題を克服することはできない。その意味では、本書のテーマはまさに必要悪論の打破であると言える。
連ご意見はこちらへ