I-Method

アウトローとベンチャー

第1部 アウトローの二重性
 第2章 社会の二重構造とアウトロー
  1 アウトローの二重性

1−2 二重性の美学


 アウトローは、自らを日陰者とする諦念から出発し、ついにはそれを美学にまで高めている。
 アウトローの美学とは、アウトローが反権力であり、弱者の味方、庶民の味方であるという美学、西洋よりも日本、経済よりも人情と仁義、未来よりも伝統を保守しているという美学である。これは二重性の美学であると言ってもいい。
 この美学に支えられて、アウトローは反社会的な存在であるにもかかわらず、市民権を獲得し、組織化を成し遂げている。その意味でアウトローの美学は無視できない重要性を持っている。

 日本のアウトローの代名詞であるヤクザは、カタギとの二重性の中で、自らを定義してきた。カタギはヤクザがなくても自立できるが、ヤクザはカタギがなくては自立できない。
 あるヤクザの大物は、「冬にはカタギに暖かい日向を歩いてもらうため、ヤクザは日陰を歩き、夏にはカタギに涼しい日陰を歩いてもらうため、ヤクザは日向を歩く」と言ったそうだ。これがヤクザの美学である。
 実のところ、ヤクザがカタギと違う道を歩くのは、それが二重性を志向するヤクザの存在論だからである。ヤクザは、秘密を保持するために日向を避けるとも言える。ただそれを、カタギには迷惑をかけないという仁義に仕立て、日陰者の救済という人情に仕立てているのである。

 ヤクザが社会の底辺の人々を支え、ヤクザが庶民の味方であるというのは、もちろん虚構である。しかし、この美学によって、ヤクザに権力と財力が与えられているとすれば、これは実に巧妙なプロパガンダだということができる。
 この美学は、清水の次郎長や国定忠治などの歴史上の人物の理想化に始まり、仁侠映画、硬派漫画、さらにはヤクザの世界を戯画化したテレビドラマへ、綿々と引き継がれている。
 アウトローの美学は、ゴッドファーザーやアンタッチャブルなど、外国映画にも影響されながら発展し、逆に外国映画にも日本のヤクザが登場するようになっている。香港映画や韓国映画でも、ヤクザは好んで用いられるありふれたモチーフになっている。
 洋の東西を問わず、マフィア映画に人気があるのは、そこに大衆の共感を得る美学があるからである。

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