I-Method

アウトローとベンチャー

第1部 アウトローの二重性
 第2章 社会の二重構造とアウトロー
  3 アウトローの組織化

3−3 右翼と左翼


 日本では、右翼は国粋主義、民族主義、保守主義の代名詞となっており、左翼は共産主義、過激派、日本赤軍などの代名詞となっている。
 資本主義の国では、反共は右翼となるが、社会主義の国では、反資本主義、反帝国主義が右翼となるのである。したがって、アウトローは右翼左翼いずれにもなりうる。
 一般には、右翼は体制や権力と癒着した保守勢力であり、左翼は反体制、反権力を掲げる革新勢力であるが、実際にはそう単純ではない。
 中国共産党は一党独裁を達成したあとも、革命勢力としての体面を重視してきた。日本では保守勢力の自由民主党や民主党が憲法改正を訴えているのに対して、革新勢力の社民党(旧社会党)や共産党が護憲を訴えるという逆転現象がある。

 アウトローは、本来的に右翼でも左翼でもない。アウトローは、ただ右翼と左翼の対立という二重性の中に存在意義を見出しているだけである。資本主義の中に共産主義の存在意義を見出し、共産主義の中に資本主義の存在を見出すのである。
 社会主義市場経済を唱える中国経済は、社会主義の中のアウトローとしての資本主義の存在意義をうまくコントロールし、経済成長に結び付けているように見える。中国経済ほどの規模ではないが、ベトナム経済にも同じような構造が見える。さらにはロシアなど旧ソ連圏でも、アウトローの経済活動が注目される。
 一方、資本主義国にも、アメリカの軍産複合体、日本の政官業癒着の系列構造のように、擬似社会主義的な構造が見て取れる。
 このようにアウトローは、資本主義の中の共産主義、共産主義の中の資本主義という二重性の中に活路を見出し、したたかなビジネスを展開しているのである。

 政治の本質は、リアリズムである。どんなに矛盾に満ちていようとも、政治はその時代の社会の現実と向き合い、その時代の問題を解決していかなければならない。かつて政治の究極の目的は戦争だった。戦争がどんなに非人道的であり、悲惨な犠牲を伴うものであろうと、政治は戦争という現実と向き合わなければならなかった。最近の国際紛争の動向を見ても、戦争という究極の政治的選択はまだ価値を減じていない。
 野党には、理想論や教条主義に逃げ込んでしまう聖職者のような政治家が居ないわけではない。しかし、政権を担う与党の政治家は、社会の矛盾と向き合わなければならないという宿命から逃げられない。その結果として、政治は、その内部にオモテとウラの二重構造を織り込んでいく。
 一人の政治家の活動にも、思想やイデオロギーの背景があり、オモテとウラの使い分けがある。それが政党となり、議院となれば、その複雑さは言語に絶するものになる。
 アウトローがたとえ非合法の存在であろうと、社会の現実として存在し、経済活動を営んでいる以上、アウトローの既得権を代弁する政治家がいても不思議はない。
 アウトローがウラの存在である以上、政治家とアウトローの関係もウラの関係となる。オモテの存在である政治家は、オモテとウラの世界の接点で、仲介者としての役割を担うことになる。この役割に対する報酬が、政治献金、口利き料、パーティ券、選挙応援、そのほか様々な名目で、アウトローから政治家に渡されるリベートである。

 二重構造化していない社会がないように、オモテとウラのない政治はない。だが、オモテの世界に属する政治家が、自らアウトローとなって手を汚すことは出来ない。そこで、オモテとウラの接点には、アウトロー側の組織化が必要となる。これが右翼である。
 戦前には右翼と公然癒着していた内務省などの官庁、軍部、警察は、戦後、表向きは右翼と手を切った。このため、オモテとウラの世界をつなぐ役割は、戦後の右翼の大物となった児玉義男、笹川良一とともに巣鴨刑務所に戦犯として収監されていた岸信介が党首となった自由民主党が独占するようになった。
 戦後民主主義の時代は、実は右翼にとっても黄金時代だったが、東西冷戦の時代が終わると、右翼は反共というイデオロギー的な対立軸を失い、一部の右翼は極右となって暴走し始めた。
 かつての左翼の祭典だった日教組の大会で、一番嬉々としているのは主催者の日教組ではなく、会場周辺を占拠している右翼の街宣車である。右翼にとって、左翼は片思いの恋人なのである。最近、対立軸を失った右翼の暴走が目立ってきているのは、早晩右翼が姿を消す前兆だとも見える。
 アウトローが、右翼に対する左翼、あるいは左翼に対する右翼として、自らを相対化することには飽きたらず、絶対的な存在意義を求め、敵対勢力を粉砕しようと過激な行動に出ると、右翼は極右となり、左翼は極左となる。
 実際には、極右と極左は犠牲者が出ずに済まない直接対決を避け、それぞれ独自のターゲットを定めて活動することとが多い。最近では、極右はメディアや政治家への攻撃が目立ち、極左は行政や国際紛争への介入が目立っている。
先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ