I-Method

アウトローとベンチャー

第3部 ベンチャーによるアウトローの超克
 第8章 産廃業界の再編
  1 産廃業界の現状

1−3 擬似社会主義の陰謀


 日本は、もっぱらEUを環境先進国とみなして、リサイクルシステムの移入を積極的に試みてきた。環境学者や環境官僚が続々とEUを訪れ、すばらしいと宣伝したからである。
 だが、明治時代ではあるまいし、欧米のシステムを日本にそのまま移植してうまくいくほど甘くない。加えて国際経済の状況変化が予想以上に早かったため、先例を模倣する二番手戦法は、経済はもちろん、環境の世界でも通用しなくなっている。
 いつの間にか、日本は世界で最もリサイクル法の体系が整備された国となった。しかし、それが日本独自の環境経済戦略に基づいた法体系になっているとは言いがたい。リサイクルされているはずの容器包装、食品汚泥、下水道汚泥、木くずチップなどを、不法投棄現場や最終処分場でいやと言うほど見てきた私としては、EUのうわべをなぞったシステムをいくら導入しても、かえってアウトローの格好の餌食にされていることを痛感せざるをえない。

 EUのリサイクルシステムは、国家独占システムであり、それは第三の道とも呼ばれる社会民主主義と無関係ではない。これは、国家独占的な機関を設置し公定価格を設定すること、すること、価格調整的な補助金で再生エネルギーや再生商品の普及を促すこと、参入規制や総量規制を実施することなど、極めて社会主義的なシステムになっており、同時に国民負担が重い高コストシステムにもなっている。
 日本からは環境先進国と見られているドイツでも、国内的には高コストに対する批判は大きく、コストもエネルギー収支も無視したムダなリサイクルだと他の国から嘲笑されている場合もあり、見直しの機運が生まれている。
 家電リサイクル法も自動車リサイクル法も、ドイツで検討されていたシステムをモデルにしたつもりだったが、いつの間にか日本はドイツを追い越してしまった。

 日本の環境行政は、経済産業省と環境省のダブルスタンダードになっている。全体としては、経済産業省はアメリカ派であり、環境省はEU派であると見られている。京都議定書を遵守するために環境税を導入し、二酸化炭素排出権取引を始めようとしている環境省と、京都議定書を無視し、環境税潰しにやっきになっている経済産業省は、アメリカとEUの代理戦争をしているようである。
 しかし、経済産業省の官僚も内心ではアメリカから学ぶことは少ないと思っている。現実的なアメリカモデルよりも、観念的なEUモデルのほうが、猿真似するには都合がいい。しかも社会民主主義と日本の中央集権的な行政システム、護送船団と呼ばれてきた官主導の経済システムのマッチングは悪くないのである。
 EU流の国家独占的なリサイクルシステムは、日本の官業癒着の経済的な土壌には意外とすんなり受け入れられてしまう。容器包装リサイクル協会、家電リサイクル協会、自動車リサイクル促進協会といった国家独占的な機関が次々と設置されても、産業界も、政治家も、環境保護団体も、環境学者も、それが当然のことであるかのように、だれも異論を唱えなかった。

 保守系の政治家がどんなにアメリカ流の新自由主義に憧れたところで、日本経済の現実は、擬似社会主義なのであり、保守系政治家も口では、自由化、規制緩和と言ったところで、実際には擬似社会主義システムから利権を得ているのである。
 この擬似社会主義は、戦中の全体主義的な統制経済の直系なのであり、そこには表面的にEUのシステムを移入しても換骨奪胎になってしまう腐敗が巣食っている。それは業界と行政が癒着するシステムとなり、政治家に利権が還流するシステムとなり、アウトローがシステムの矛盾を補完して帳尻を合わせるシステムとなってしまうのである。容器包装が結局はリサイクルされないで、最終処分場に埋め立てられている現実は、アウトローによる補完システムがうまく作動している典型と言える。
 経済産業省の三つのリサイクル法(容器包装、家電、自動車)は、後になるほど硬いシステムになっているが、それは同時に価格硬直的なシステムであるとも言える。この価格弾力性の欠如は、業界の投資利回りを確実にするための方策であり、銀行の融資を引き出す方策であるとも言える。なんのことはないかつての護送船団の焼き直しなのである。

先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ