I-Method

アウトローとベンチャー

第2部 アウトローの手口と封じ込め
 第4章 警察と行政の弱点
  1 警察の弱点

1−3 脱常識の発想


 日本のアウトローは社会化され、普通の企業と区別がつかなくなっている。企業舎弟やフロント企業は、ヤクザの隠れ蓑であると同時に、ヤクザが会社化され、あるいは社会化されていくプロセスであると言える。
 社会化されたヤクザは、オモテの市場で、一般市民を顧客とし、普通の料金を徴収し、税金も納付する。高額納税者に堂々と名を連ねるフロント企業も珍しくない。
 日本のヤクザは、こうして社会にしっかりと根を下ろしてしまっている。これが、犯罪も脱税も少ないのに、ヤクザが多いという、日本独特のアウトローの構造を生み出しているのである。
 いわば、日本のヤクザは、自らのなかに、ウラとオモテの二重構造を内包してしまったと言える。しかし、これは二重構造が解消したことを意味しない。社会化したアウトローは、依然としてアウトローであり、社会の影の部分を担っているのである。
 アウトローが二重構造を内包し、ヤクザとカタギの一人二役を演ずるようになると、二重構造の矛盾を顕在化させるダイナミックなプロセスが失われ、新陳代謝のない腐敗した社会が生まれる。これが二重構造を固定化する保守主義の真相である。
 これまでのアウトロー対策が、結果的にアウトローを撲滅することはおろか、アウトローを封じ込めることもできず、アウトローを増徴させ、社会化を促してきたという事実を見るなら、現在の対策の延長線上にあるのは、アウトローとの馴れ合いでしかない。

 アウトローの存在それ自体が社会からなくなることはない。その意味で、アウトローの撲滅ということを考えても、単なる理想論で終わってしまう。
 徹底的な取り締まりによって、特定の地域、特定の事業からアウトローを撤収させることはできるかもしれないが、アウトローは他の地域に移動し、あるいは新しい事業へ転向して生き続け、古いアウトローは滅びても、新たなアウトローが生まれ続ける。
 アウトローの社会化による馴れ合いを阻止するためには、アウトロービジネスをベンチャービジネスに置き換えなければならない。一度社会化されて、市場に根付いてしまったアウトロービジネスは、取締りによって撲滅したり、封じ込めたりすることが難しいからである。しかし、ベンチャーの進展によって市場が熟成するにつれて、アウトローは市場から撤収していく。ときにはアウトローだった企業が、脱アウトロー化していくこともあるし、それが主流かもしれないが、それは市場の正常化の一つの道である。
 アウトローを取り締まるための新法の制定、法律改正、罰則の強化によって、一時的にはアウトローの力を弱めることができたとしても、その効果は長続きしない。アウトローは必ず法律の抜け道を見つけ出して再生してくるのだ。法による封じ込めと抜け道による再生のイタチゴッコは永遠に続いていく。
 封じ込めは、封じ込める側の圧力によってアウトローを包囲しようとしているのであるが、アウトロー問題を解消する方法は、アウトロー自身の中にある。
 アウトローを内部から適法化、適正化することで、アウトローをアウトローでないものへと転換させていかなければならない。
 アウトローが市場を占有している状態は、末期的な腐敗ではなく、むしろ初期的なカオスであり、市場がベンチャーによって成熟していくための創世記なのである。
 アウトローをベンチャーに置き換えていくダイナミックな過程は、終わりのない永遠の過程である。アウトローは全体としては撲滅できないが、個々のアウトローは発生と消滅を繰り返していく。そのダイナミックな過程に積極的な価値を発見することが、逆説的なアウトロー対策の真骨頂である。

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