アウトローとベンチャー
第2部 アウトローの手口と封じ込め
第4章 警察と行政の弱点
3 三権分立と三つの窓口論 |
3−3 パートナーシップと市民運動
市民団体は、地域の問題について、独自に実態を調査し、市民が意見を交換するための集会や勉強会を開催するなどの活動をしている。しかし、最後に意思表示をする段階になると、開発行為の許認可に対する反対運動を展開し、所管官庁や上級官庁に陳情するということが多かった。
反対運動にせよ、陳情にせよ、相手方は行政であり、結局行政のアクションを促しているにすぎず、自ら問題解決のためにアクションを起こしているとはいえない。
結果として、市民団体は、反行政的な活動団体になってしまうため、その意思はなかなか通らない。最近では、工事差し止め仮処分申請などが、裁判所に認められる事例も増えて生きているが、まだまだ勝訴率は低く、裁判官の個人的な資質に負っている面も否めない。
しかし、最近になって変化が現れてきた。市民派の知事や市長が次々と当選し、市民団体の支援を受けて当選した知事や市長にとって、市民団体は批判勢力ではなく、与党となったのである。
市民派首長の誕生により、市民団体は、行政の窓口を飛び越えて、自治体のトップにアクセスするパイプを持ったことになる。だが、市民団体も行政も、まだこの変化をしっかりと受け止めているとは言えない。相変わらず反対運動と陳情を続けている市民団体は多いし、相変わらず市民団体の活動を、大きなお世話だと感じている行政の担当者も多い。
開発行為を申請している事業者にとって、最大の難関は用地買収であるが、それについで市民団体の反対運動も厄介である。
反対運動が盛り上がると、右翼や保守系政治家の出番となる。このため、わざわざ反対運動を扇動しているマッチポンプの右翼もある。
アウトローは、けっして単独では存在できず、かならず拮抗する勢力を必要とする。その意味で、市民団体が反対運動を展開すればするほど、それは右翼や保守系政治家の仕事を作ってあげているという皮肉な結果になる。
これは、かつてアメリカと自由民主党が、日本社会党の平和主義を逆用して安保体制を強固にした事情と似ている。社会党がなければ、自民党は産業界や農村を票田にできず、もっと早く分裂していただろう。自民党が弱体化した最大の原因は、社会党の消滅だったのである。
アウトローにとって怖いのは、市民団体の反対運動ではなく、市民団体と行政が信頼関係で結ばれてしまうことである。そうなれば、右翼や保守系政治家が漁夫の利を得る隙がなくなってしまう。
市民派の知事や市長を誕生させた流れに乗って、市民団体が行政と対話を始めると、今度は保守系政党が行政を妨害する反対運動を始める。立場が逆転するのである。反対のための反対は、政治にとっては宿命的なことである。反対のための反対をしなけければ、自らの存在を主張できないのである。
市民と行政のパートナーシップは、地方自治にとっては普通のことになっている。街づくり、商店街の再生、環境問題、教育問題、交通問題、伝統文化の伝承など、さまざまな分野で、市民と行政が交流し、共同参画し、協働して事業を展開していくことが始まっている。あるいはこうした下地があって、市民派の政治家が誕生しているとも言える。
地域のお祭り一つをとっても、市民が自ら露店を開き、フリマを開くようになると、テキヤの出番がなくなってしまう。テキヤはお祭りの花だというノスタルジーを持つ人もいるかもしれないが、親分が売上げの6割をピンハネするようなテキヤを、日本文化の伝統として残していいかどうかは疑問だ。
市民団体の究極の姿は、市民の訴えに対して、行政と独立した窓口となり、行政に陳情せずに、自ら問題解決を図れる自律した組織になることである。その上で、解決困難な問題について、行政と協働していけばいい。そこには反対運動という左翼的な活動が入る余地はない。
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