I-Method

アウトローとベンチャー

第2部 アウトローの手口と封じ込め
 第5章 情報がアウトローを封じ込める
  2 自律的コンプライアンス

2−1 コンプライアンスの欠如が起こす問題


 かつて日本には、国が企業の利益を保証し、業界内の序列が維持されるという産業風土があった。
 この集団志向と安定志向は、日本独自の構造と言われがちだが、韓国などにも類似の構造が見られるという点で、東アジア文化に普遍的な傾向なのかもしれない。
 最近、日本と中国を席巻している韓流ドラマには、上流階級や外国生活への憧れが必ずといっていいほど物語のバックグラウンドとして描かれている。ところが、いわゆるアメリカンドリームは実現せず、貧乏人は一時的に成功しても、また貧乏人に戻ってしまうし、金持ちはどんな汚い仕事をしようと、最後まで金持ちのままであって、階級の逆転は起こらない。アメリカではエンロンのような大企業でも、粉飾決算というありふれたスキャンダルが原因で倒産してしまうが、日本や韓国では、企業はもともと汚れたものというイメージがあるせいか、ドラマの中ですらそのような倒産劇はまず起こらない。荒唐無稽なほど波乱万丈で、やたらに多い涙のシーンが韓流ドラマの見せ場だが、最後には振り出しに戻って、すべてが落ち着くべきところに落ち着く。この無難な結末には、良かれ悪しかれ東アジア文化の真髄を見る思いがする。
 護送船団が組まれていた時代には、企業は官庁にだけ情報提供していればよかったし、行政指導に従っていれば法律を無視していても許された。しばしば超法規的に行われる行政指導に従順についてくるかどうかが護送船団の踏み絵にすらなっていた。今でこそ、談合は入札妨害罪となるが、田中角栄内閣の時代には、建設業界の受注調整は通達によって公然と許容されていたし、現在でも、故田中首相が構築した構造は堅固に維持されている。

 しかし、ようやく最近になって、この構造が揺らぎ始めている。もはや行政指導に盲従しているだけでは利益は確保されないし、それどころか行政との癒着がかえって思わぬ落とし穴になることも増えている。
 国が企業を守ってくれない時代になった以上、法律によって引かれたレールの上を走るだけの他律的なコンプライアンスでは、何も手にできないどころか、すべてを失いかねないことになった。一つ判断を誤ると、どんな大企業でも存亡の危機に陥りかねない時代になったのである。
 牛肉偽装詐欺事件は、どうせ国は検査しないし、黙認してくれるだろうという、これまでの癒着構造の延長線上の甘い期待が招いた犯罪であるが、日本ハムは倒産しなかった。次いで起こった雪印事件では、雪印ブランドが消滅してしまった。三菱自動車工業のリコール隠しも、アメリカなら倒産して当然の事件だったが、三菱グループが三菱ブランドを死守し、国もそれを容認した。次々と発覚する大病院の医療ミス隠蔽事件も、地方大学の留学生就労黙認問題も、まったく同じ構造を持っている。
 こうした有名企業や大病院や大学の一連の不祥事は、問題が発覚しても国が黙認し、あるいは隠蔽してくれるだろうという甘い期待から、時代の流れを読み誤り、自律的なコンプライアンスの構築を怠った自業自得の事件だと言える。
 だが、今でもこうした隠蔽体質は、あらゆる業界に残っている。それは問題の隠蔽である以上に、官僚に問題解決能力がないことの隠蔽なのだとも言える。それをいいことに企業も病院も大学も不祥事を隠蔽し続けてきた。
 日本では、問題は発見するものではなく、発覚するものである。報道や内部告発によって問題が発覚するたびに、官庁はそれを隠蔽する側に回るという無意味なシステムが今なお作動している。

先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ