I-Method

アウトローとベンチャー

第2部 アウトローの手口と封じ込め
 第5章 情報がアウトローを封じ込める
  2 自律的コンプライアンス

2−2 行政指導からの自律としてのコンプライアンス


 超法規的な行政指導によってごまかしてきた日本の経済法や行政法は、もはや出口の見えない迷宮と化してしまっている。簡単なことではなく、一つの法律の条文ですら解釈がさまざまであり、法律間の整合性はまったく取れていない。コンプライアンス(遵法)といっても、結局は行政担当者の判断を仰がなければならない場面が多くなってしまう。日本的なコンプライアンスは、法律ではなく、行政指導に従うことだったと言っても過言ではない。
 しかし、行政指導に盲従していても、何も進展はない。自律的なコンプライアンスとは、何よりもまず、行政指導からの自律を意味する。それは同時に、護送船団、日本株式会社、系列などと呼ばれてきた構造からの離脱、官需や補助金からの決別を意味する。
 行政指導は、官僚の解釈権と裁量権に基づく、法律の敷衍というにとどまらず、産業界の利権と密接につながっており、行政と産業界の間に、政治家が仲介者としての役割を果たしていた。さらに産業界の一角をヤクザや右翼が占めていた。行政指導は、行政、政治、業界、アウトローの保守的な癒着関係を象徴しているのである。
 したがって、行政指導からの自律は、同時に政治家やアウトローとの決別を意味することになる。
 自律的コンプライアンスは、脱行政指導であり、脱政治であり、脱アウトローであり、脱談合であり、脱癒着なのである。

 自律的なコンプライアンスが、行政指導によらずに法律を解釈することであるなら、それは法律解釈の創造であり、チャレンジであり、プロジェクトでなければならないことになる。企業が独自に法律の解釈を研究し、その解釈を行政や司法にぶつけ、業界のスタンダードに高めていくことになるのである。その過程で、法律の条文が現実にそぐわず、解釈では逃げられない事態が生ずれば、法律の改正を訴えていくことも必要になる。企業が主体性をもって、法律にチャレンジすることが、自律的なコンプライアンスなのである。
 これまで法律以上の権威となっていた超法規的な行政指導を無用の長物とするには、これまでのような官庁の都合で構築されてきた行政法学の限界を超えることも必要になる。企業が官庁を責めるための道具としての行政法学を構築するには、これまでとは全くタイプの異なる法律の専門家を育成する必要がある。弁護士には行政指導に挑戦する戦略的な法解釈をする人が増えてきているが、まだ行政法学としては確立していない。それは、行政指導に盲従する産業風土の中で、戦略的な行政法学を研究する学者の必要性が乏しかったからである。

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