I-Method

アウトローとベンチャー

第3部 ベンチャーによるアウトローの超克
 第6章 アウトロー経済学
  2 経済的アウトロー

2−2 市場の失敗


 経済学で市場の失敗と呼ばれているものが、アウトローにとっては市場の成功である。
 経済学的な公式で表現できる完全な市場は、現実にはありえない。どんな市場にも不公正、不平等、不均衡がある。これがアウトローにとっては市場そのものなのである。アウトローの経済には、この市場の失敗を補償する機能がある。
 しかし、この機能は不完全であり、アウトローが市場の失敗を解決するわけではない。
 むしろ、アウトローは市場の失敗が拡大することを望むので、アウトローの侵入によって、市場はますます正常な状態から離れていく。これがアウトローと市場の癒着、あるいは市場の腐敗である。

 戦中の1940年に始まった統制経済は、競争を排除する全体主義経済だったが、戦後復興経済に受け継がれ、擬似社会主義経済として構造化された。財閥解体などのリベラルな経済政策は、戦後の3年間で中断し、その後は事実上の旧財閥系企業の再結集が行われ、系列システムとして確立した。
 現在の日本経済の状況は、この擬似社会主義経済が崩壊していく過程であると言え、グローバルスタンダードを取り入れる企業と、擬似社会主義にしがみつく企業とに二極化している。従来の利権は、多くの業界でクラッシュしてしまったが、それがかえって経済再生の原動力となっており、利権がクラッシュしていない業界ほど、構造不況から抜け出せないでいる。いわば、日本経済全体が文字通りのリストラクチャ(再構造化)の過程にある。
 護送船団にたとえられたシステムを支えてきたのは、旧大蔵省と金融業界の二人三脚による土地抵当間接金融だった。それが1990年の土地取引総量規制をきっかけとしたバブル崩壊と共に終焉した。その後の日本は、銀行を救済し地価を支えて土地抵当間接金融を復活させる動きと、ダメな銀行は潰して国際スタンダードについていける銀行だけを残し、地価に頼らない事業収益本位のプロジェクトファイナンス(ノンリコースローン)や、企業の成長性に注目したエクイティブファイナンス(債券発行による直接金融)中心の金融システムに移行しようとする動きとの間で揺れ続けている。
 金融業界の再編や外資の参入はいくらかは進んでいるものの、世界の金融街であるニューヨーク、ロンドンと比べると、東京は明らかに遅れているし、シンガポールや香港にアジアの金融センターの坐を奪われようとしている。これは、擬似社会主義的な市場介入や業界支配が依然として続いていることと無関係ではない。
 擬似社会主義経済の最大の特徴は、非市場的な方法によって一物一価を成立させることにある。それが公定価格、公認カルテル、談合の黙認、窓口規制などの行政指導である。しかし、非市場的な一物一価は、市場の実勢価格と乖離し、二重価格の根拠になる。
 GDPの半分にも達すると言われる財政投融資を含めた国の公共投資は、官の指導に従う業者、官の指導に従わない業者に、産業界を二重構造化し、二重価格を成立させてきた。無意味に複雑な許認可制度、一部の業者だけを優遇する普遍性のない補助金行政も、二重価格を増長させる効果があった。
 官需と民需の価格差は、結局は国民が税金によって埋めることになる。この莫大な利益に政治家やヤクザが群がるという構造が、擬似社会主義経済の失敗である。GDPを500兆円、官需をその50%の250兆円、二重価格差を20%とすると、価格差の利権は50兆円にもなる。その半分がアウトローの利権だとすると、25兆円になる。これは別の方法で試算されているアウトロー経済の規模とほぼ等しい。
 擬似社会主義経済は、バブルが崩壊した1990年ではなく、税収が伸び悩んだ1980年にすでに崩壊していた。それに気付かなかったことが、市場の失敗の傷を深くしたのである。

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